私と「非モテ」と時々「イケメン」。

モテるからと言って、幸福な訳ではない。

非モテだからと言って、青春がないわけでもない。

誰かを好きになっても、それに気づかないこともある。

 

まとめ

・イケメンは大概、孤独。

非モテ非モテ同士でつるむので、友達は簡単にできる。

・好きという感情が分からないこともある。

 

1.私の友人たち

 

私の友人に、イケメンが居ます。

彼は女性にモテますが、はっきり言って、女性を嫌悪しています。

 

見た目、性格、話し方やセックスの内容まで・・・・挙げればキリがないほどの苛立ちと怒りを持って生活しています。相手の女性だけでなく、世の女性の多くを憎んで、蔑んでいます。

簡単にホテルに行きますが、簡単に別れてしまいます。

「あ、中毒なんだ」

そう気づくのに、時間はかかりませんでした。

 

2.私の友人たち②

 

私の友人に、非モテが居ます。

彼は女性にモテませんが、友人がたくさんいます。

 

彼は自分の見た目をあまり気にしません。バカにして笑われていても、あまり感じていないように見えます。周囲から愛される代わりに、女性からも相手にされません。

 

では、どちらが幸福なのでしょう?

 

3.自分への好意に気付けない非モテと、他者への好意を持ち合わせないイケメン

 

非モテ君も、時には女性から好意を向けられています。ただ、彼は自分の属するコミュニティで満足している為、その外側になかなか意識を向けられません。

一方、イケメン君は属しているコミュニティの種類は多いですが、友人の数は異常に少ないです。私以外に、メールを送る相手がいません。

 

非モテ君は常に友達と遊んでいます。中学生のころから遊びの内容が変わらないので、「どう遊んだらよいか」が完全に分かっています。ただ、そこに異性の入り込む隙がないのです。

イケメン君は友達と遊ぶ代わりに、ものすごい量のバイトを入れます。常にお金がないのは、たくさんの彼女を抱え込んでいるためで、就職先も激務のブラック企業でした。

 

恋愛だけで幸福は測れませんが、一方、社会の構造的にカップルを異常に持ち上げる文化が多いのも事実です。

非モテ君もイケメン君も、同じような内容のアニメや映画を見ます。それは、複数の女性を男性がハーレムに囲ったり、大恋愛の果てに結婚したりするような内容ばかりです。

 

ただ、彼ら自身の日常はそれらからかけ離れています。

 

非モテ君は彼女が居ませんし、イケメン君は女性を憎んでいます。

彼らは現実と虚構のあまりの差に気付けてすらいません。

あるいは、気付かないように気をつけています。

 

4.「好き」という「感情」

 

非モテ君も、実は恋愛をしていたことがあります。相手は同じ学校の同級生。彼女からの告白だったそうです。そして、別れを告げられたのも・・・。

イケメン君は、実は恋愛をしたことがありません。ごく自然に彼女ができるため、告白したことがないそうです。あるいは、カップルになる前にセックスだけして別れるそうです。

 

これらの問題の共通点は、「好き」という感情が分からないことに起因しています。

 

本来、「好き」とは「拘泥」を意味します。

相手のことが気になってしょうがない。常にどこに居て、何をしているのか分からないと不安になる。

でも、現代の社会はこれらの感情と真っ向から対立します。

SNSで知りたくもないのに相手のことを「教え」られ、社会の動きが早いので、固定化された人間関係はリスクしか生みません。

元々、恋愛感情はかなり長い時間をかけて醸成されるものだったのでしょう。ムラやカイシャ、教室や閉鎖された人間関係の中で、自然と相手を「好き」になる。。。

そこには「拘泥」すなわち「無限の投資」が必要になります。相手を簡単に変えられないのですから、当然、相手に対する投資量(時間、お金、体力、気持ちetc...)は増えます。すると、簡単には「足抜け」できなくなって、そこに「結婚」という社会制度が加わり、「恋愛」が出来上がっていた訳です。

そして、そこには「好き」=「感情」が存在していた

 

5.感情がなくなる時

 

非モテ君は、二次元の女性が大好きですし、三次元では優しい女性が好みです。自分を決して傷付けない存在しか「好き」になれないのです。

イケメン君は、女性は嫌いですが、女性の体は「好き」です。彼女たちを憎んでいますが、同時に彼女たちの体に「拘泥」すなわち「好き」でいます。

 

これら「好き」は、本当に「感情」でしょうか?

 

元々、相手のことを「好き」になることと、愛情を感じることの間には何の関係もありません。エスパーでもない限り、相手の気持ちが分からず推測するしかないのですから、「感情を愛する」=「愛情」も存在しえないのです。

相手を好きになる時、人は自分の中に居る、自分にとっての「相手のイメージ」を好きなっているに過ぎません。

そして、その「イメージ」が崩れたとき、相手に関する強い「失望」を感じます。望みを失って、感情を失う訳ですね。

そして、興味を失って、別れていきます。

 

6.果たして、誰が幸福か?

 

イケメン君も非モテ君も、自身の「好き」という感情があまりに貧弱なことに気付いていません。これを「若いから」とか「恋愛の本質が分かっていないから」とは言えません。先ほども言ったように、特殊な能力でも持っていない限り、相手を本当に「好き」になることは、現代の高速化した恋愛には不可能です。気付いた時には、相手は消えています。

 

ではどうすればいいのでしょうか?

 

実は答えは簡単なのです。

「自分で自分のことを好きになって、相手のことを好きな自分を好きになる」

これだけのように感じます。

というのも、相手を本当の意味で理解できない以上、理解しようとしている姿勢を見せることが重要なのです。相手に関する興味を失った状態、すなわち、「失望」=「感情がなくなった状態」を避けるためにです。

実は私たちは大きな勘違いをしてるのかも知れません。

相手に好かれようと(興味をもってもらおうと=モテようと)するあまり、自己改革に勤しみ過ぎて、自分のことが嫌いになったりします。

実はこれは、「自分の中に居る相手を潰す行為」なのです。だって「相手を好きになっている自分を改革してしまって」=「相手を好きになる感情を失わせて」いるのですから。

 

7.変わっていくために

 

イケメン君は、最近、結婚したいと言い出しました。相手には困らないはずですよね?ところが、かなり難航しているようです。だって結婚は恋愛やセックスと違って、簡単に「足抜け」できないから・・・。

非モテ君は、結婚相手を自分で選びたいそうです。職場で知り合った女性に、積極的に「貢いで」いますが、なかなか芳しい答えを引き出せません。彼女が他の男性と遊びに行ったりする「気配」を感じるそうです。

彼らも、そして私も皆さんも、実は相手に気を取られ過ぎて、自分を好きになることを怠っています。

相手を好きになるには、まず自分の「好き」という感情について、もっと繊細になってみましょう。なぜ好きなのでしょう?どうして気になるのでしょう?相手の嫌いなところも、考えてみましょう。

たぶん、自分のあまりよろしくない顔が映った鏡に直面するでしょう。でも、それで良いのです。自分の醜いとこを愛せれば、「相手の醜い感情も愛せるように」=「愛情を感じる」ようになるはずなのですから。