「自由」恋愛という言葉の不思議さと、インセルへの嫌悪感

※注意※

この記事は「インセル」("involuntary celibate"(「不本意の禁欲主義者」、「非自発的独身者」))について書かれています。

性的な内容を含みます。

強い暴力的な言語を含みます。

 

〇まとめ

・自由恋愛は歴史的に見て、最近「発明」されたモノ。➡1.歴史のお勉強、2.支給品

インセルは遺伝子的に敗北しているが、それはモテないからではなく、モテても高望みを繰り返し、満足感を得られないから敗北している。➡3.被害者、4.結論

・もし、性における結果の平等を求めるなら去勢避妊手術と遺伝子バンクの合わせ技が妥当。➡5.で、どうするか?、6.そんな性なら、捨てちゃえば?

インセルから抜け出たいなら、まずインセル的な価値観を捨てるしかない。➡7.とはいうものの...

 

〇本文

 

インセルって知ってるだろうか?知らなかったら、youtubeでもwikipediaでも見て勉強してほしいが、一言で言うと

「モテたいのにモテる努力をしない自称非モテ

達のことだ。

 

1.歴史のお勉強

それは、古代社会においてはあり得なかったろうし、中世においても、王侯貴族の政略結婚以外に存在しなかったことだろう。

また、近代に入って日本が「開化」されてからも、社会設計上、結婚と育児は女性が、兵役と労働は男性が担うという性的役割分業は当然のこととされていた。

その中で、それは一種のエンターテインメント、すなわち結婚の下位互換として設定され、その様をつぶさに記録した、いわゆる「私小説」と呼ばれる娯楽メディアが、人々の購買意欲と性的関心の受け皿として認知された。

自由恋愛。

この四文字ほど、現代的で意味不明な言葉は存在しない。後に述べるが、実は「自由」な恋愛など在り得ないからだ。

自由恋愛が「発明」されるのは、戦後から暫く経ってから、恐らくは高度経済成長期以降のことだろう。なぜなら、それまでの家庭は、家事育児を行う労働力付きの売春婦として、ある一定数の婦女子を必要としていたからだ。

戦後の高度経済成長の中で、電化製品や郊外型のスーパーマーケット、自動車や鉄道網などが急激に整備されていく過程で、家庭の「家事」は自動化されていく。

男性が、必ずしも女性という家内労働者を必要としなくなったことが、昨今のインセル的な議論すなわち「女をあてがえ」議論に繋がっていると私は考える。

 

2.支給品

そう、実は「インセル」的な議論の発端は、男性側の意識の変化に端を発している。

上の「女を宛がえ」理論には、括弧付けされた条件が存在する。すなわち「(俺が性的に興味を持ち、また従順に従うことで男性的遺伝子の征服欲求を満足させられる)女を宛がえ」という論理なのだ。

残念なことに、そんな女性はほとんどいないか、居てももっと「上位」の雄に取られている。

現代社会の、特に精神や心理的な要因が混入しやすい生活環境において、「女を宛がう」ことは困難を極める。

女性と男性を逆転させてみればよく分かる。

ほぼすべての男性が、女性の満足いく異性パートナーとして失格だ。なぜなら、ほぼすべての女性が、感情を優先して生きているからだ。それは男性の感情と異なり、かなり動きが早い。雌の感情的な変化の速度について行ける雄の数は、雄の男性的な遺伝子、すなわちY染色体を満足させられる雌の数より少ないだろう。

単なる労働力として、そして決して性的に魅力的でなくとも、インターネットやポルノ雑誌が存在せず「相対的に」魅力がないと気付かないでいられる間だけ、女(異性)という「支給品」は価値を持った。そして社会状況が変化すると同時に、その価値は消えた。そして、インセルが出現した。

 

3.被害者

哀しいのは、全員が自らを被害者だと誤認していることだ。

もし「支給品」で満足したいなら、生活(性活)や自己への評価を低下させるしかない。あるいは、もっと謙虚になるかだが、これは更に困難だろう。なぜなら、遺伝子はより優れた見た目の、あるいは、優秀な遺伝子を持っていると「推測」される異性を求めていくからだ。

これはダーウィンの言う適者生存の原理とも矛盾しない。より健康で、頑健で、他者からの「評価」が高い個体と交雑することが、遺伝子にとって最も基本的な生き残り戦略となる。

遺伝子的な闘争のさ中で「謙虚」に振舞えばどうなるか?

女性の場合は、まず間違いなく安く買い叩かれる。それが肉体であろうが、精神であろうが、言葉であろうが、無関係だ。セクハラが連発されるだろう。

また、男性の場合は、競争に敗北するだろう。謙虚にふるまっている間に、より多くのメスと「交流」し、遺伝子レベルで「ハイ」になった別の雄に、精神、身体、経済のあらゆる側面で後れを取る。

自由恋愛はゆえに不自由である。なぜなら、クラスヒエラルキーであろうが、会社内の対人関係であろうが、ナイトクラブの意味不明な会話(怒鳴り合い)であろうが、それらを行っている男女の間に、絶望的な意識と感情の開きがあるからだ。

現代の社会は各個人の自由意志すなわち自由恋愛を尊重するが、その考え方自体が自由な意思決定を阻害している。恋愛という究極の機会の平等は、結果の平等と真っ向から対立する。結果の平等が得られないなら、意思決定を行う力を手にできず、結果として自由がなくなる。

 

4.結論

自らが生き残るためには、何をしてもよいというホッブズ的な状況が、個人の性生活まで徹底された社会における、恋愛という「経済」の硬直化。

これが、自由恋愛の限界であり、私がインセルに感じる気持ち悪さの正体でもある。

自由とは価値観の設定や、「何が優れているか」を決められる段階のことを意味する。これは現代的な「自由」恋愛ではまずあり得ない。「モテる」という状況そのものが、他者からの評価を基準にしているがゆえに。

また、インセル的な議論が気持ち悪いのは、自分たちこそが当事者だからだ。

実のところを言うと、インセルには女性も含まれる。

なぜなら、自由恋愛市場で自らを「高く」売ろうとする行為や意識そのものが、女性を動物とみなして「調教」しようとするピックアップアーティストの意識と酷似しているからだ。

現代の恋愛・性愛活動において、被害者など在り得ない。そのゲームに参加する以上、全員が加害者か関係者である。

 

5.で、どうするか?

より多くの異性が、「消耗品」として「支給品」として必要とされるのですよね?ということは、それを安定供給する方法、例えば、非モテ男子と非モテ女子専用のマッチングアプリとか、結婚を前提とせず、あくまでも童貞(セカンド童貞)や処女(セカンド処女)を脱却するためのお見合い会を恥も外聞もなく開くであるとか・・・。

でも、その中でも実はインセルって発生するんですね。自由恋愛という遺伝子闘争の中で劣った個体だけを集めたら、その中で更に弱者が発生します。ブス、バカ、貧乏、チビ、デブ、ハゲ、童貞、処女を集めたら、その中で更にマウント合戦が始まるとか地獄絵図ですよ。

せいぜいが、自由恋愛や遺伝子闘争しか価値判断基準がない雰囲気をこれ以上助長しないよう、メディアはクリスマスやバレンタインの報道を自粛するとか、あるいはカップル限定の割引を小売店舗側に辞めさせるだとか・・・。

でも、結局のところ、それって問題の解決にならないんですよね。

どうしてかというと、遺伝子レベルでより多くの異性やセックスを求める以上、代替品(オナニーやポルノ)には限界があるし、遺伝子レベルの闘争=科学的に存在が確認されている闘争を「存在しない」としちゃうと、宗教になる訳です。

非モテ宗教ですね。

割とガチ目の「教会内価値観」って奴です。ルサンチマンが溜まりまくる上、恋愛強者は捕食活動をやめないので、更に格差が広がります。

 

6.そんな性なら、捨てちゃえば?

ひとつ、方法があります。精子卵子だけ残して、機械にガチャガチャを回させるんです。

意味不明ですよね?説明しましょうか。

遺伝子と卵子を氷漬けにして保存、で、当人はボール切除あるいは部屋を潰します。正確に言うと、性欲を発生させる器官を科学的に破壊し、なおかつ遺伝子の運び手である精子卵子の保存のみを行うんですね。

現代の遺伝子技術だと、これが可能なんです。精子卵子だけを「バンク(銀行)」に預けて、自分は遺伝子的な闘争から降りるわけです。そうすれば、ほとんどの場合、ルサンチマンも溜まりませんし、遺伝子カクテルから敗退することもありません。恋愛の興奮や、オナニーによる一時的満足感を失いますが、あくまでもプラトニックなものなら可能ですし、別に同性であっても構わない・・・。

実は、現代的な「自由」恋愛の多くが、その「自由さ」を失っている以上、科学的に強制的に「シャッフル」=「自由さの担保」を行うことは理に適ってるんですね。

どんなブスでも、遺伝子的に敗北している要素しかなくても、超絶美人や天才と、遺伝子をシャッフルできるチャンスがある・・・。宝くじに応募するようなものですが、現在の「どちらに転んでも可能性はゼロ。生涯にわたって孤独と疎外感、劣等感に悩まされます」といった状況よりかは何倍も「マシ」なのです。そして、より多様性を求めることが、遺伝子の生き残りに不j可決ならば、これほどまでに「多用」なあり方も珍しい。

だってこれって、古代のレイプしかない交尾の状況と同じなのです。

乱数に支配され、完全に人間の手を離れた機械のアームが、無作為に精子卵子を混ぜ合わせる状況は、どこにメスが居るか分からず、純粋に鳴き声と匂いだけで雄が動き回り、最終的には意思確認など行わずに強制的に交雑を行う状況と、まったく変わらないからです。どちらも結果は「天のみぞ知る」状況なのですから。

 

7.とはいうものの...

とりあえず、モテるために努力することにしましょう。だって、そんな技術や社会状況、そうそうすぐ「実装」されるとは思えないんですもん。

で、どうやったらモテるんですかね。。。

少なくとも、男性はチビはショウガナイので、まずはデブ、ガリ、不潔から抜け出しましょう。生活環境を改善して、より健康体(のように見える状況)へ移行しましょう。また、少しでいいので収入を得ましょう。最低限、働いているという姿勢を見せましょう。

また、女性は無意味な「努力」をやめましょう。あなたがどれほど「努力」しても、男性はちっとも嬉しくありません。カツ丼を頼んだら、ショートケーキが来た、並みに意味不明です。これは、分かる人には分かると思います。「気の利く女性」だと見せたいがために、できもしないのに教育委員長的にふるまおうとする女性が多すぎます。

ここまで来ても実は多くの人がこう思っています。

「で、どうしたらモテるんですかね?」

というか、それって分かっちゃたら意味無いですよね。他者と比較して異性に人気がある状態が「モテ」だとするなら、それが言語化され、再現可能になった時点で「モテ」てないですよね。簡単にコピーできちゃう訳ですから、格差が消えてしまいます。

ようは、競争から降りることを前提としつつ、その中からすぐには離脱できないことを想定して、できるだけ具体的かつ即効性のある戦略を立案・実行し続けるしかないのです。

他人より優れている(モテている)だとか、劣っている(チビ、ハゲ、デブetc...)だとかいう考え方自体を拒絶しつつ、自己改革に勤しむしかありません。