大人にこそ「遊ぶ」ための「研修」が必要だ。

今年のお正月に友だち数人で集まって年末の宅飲み会をしました。

 

で、その時思ったんですが、大人になってから「遊ぶのが下手」になってませんか?

 

〇まとめ

・子供の時は「遊ぶのが上手」過ぎてヤヴァイ。➡1.子供の時はみんな「遊ぶ」のが上手い、

・大人になると「遊ぶのが下手」になる。➡2.子供の時間。大人の時間。

・「遊ぶ」ためには、実は「遊ぶための技術」が必要とされる。それは「時間を忘れる技術」とも言える。➡3.「遊ぶ」ための技術、4.時間を忘れるために、5.大人にこそ「遊ぶための研修」が必要だ。

 

1.子供の時はみんな「遊ぶ」のが上手い

と思うんです。じっさい。

子どものときって、時間が過ぎるのが早いじゃないですか?

友だちの家で遊んでて、気付いたら窓の外が真っ暗。僕は住んでいたのがド田舎なので、暗くて寒い田んぼの農道を、全力でチャリンコで逃げ帰る日々でした。

で、その当時のこと思い出すと

「時間がもったいない」

って考え方そのものが「無い」んですね。

 

2.子供の時間。大人の時間。

大人になってから、「時間」が足りなくなりました。

常にスケジュール管理に追われ、提出期限に間に合わなければ容赦なく減点、あるいは叱責や減給処分を受けます。

これらは、現代的な効率重視の社会に生きている為です。

その証拠に、効率どころか基本的な社会インフラすらない国や地域では、時間通りに物事が進まないことの方が多いです。(アフリカの一部の国とか、バスの時刻表に1時間+しないとバス来ないそうです。アフリカ出身の友人が言っていたので、たぶんホントです。)

そして、子供の時間から大人の時間にシフトした時、たぶん、「遊び方」を忘れました。

 

3.「遊ぶ」ための技術

まず、「時を忘れる」ことだと思います。

先に触れた正月の宅飲み会でも、僕は時間ばかり気にしていました。

お正月で仕事も勉強もないはずなのに、しっかり腕時計を左手に巻いていたのです。

そして頭の奥底で次のように考えていました。

「この時間をどう有効活用してやろう」

その結果、友人たちの個人的な話を根掘り葉掘り聞くという意味不明な行動に出ます。

実際キモっかたろーなー、と思います。

そして、超絶に楽しくありませんでした。

友人たちがスマブラやってる横で、面白くなくなりすぎて寝始めましたもん(笑)

それもこれも、「遊ぶための技術」が圧倒的になくなっていたことが原因です。

 

4.時間を忘れるために

 

まず、「役に立つかどうか」を捨てましょう。

僕もできないですが、人生には役立たずが多いです。仕事上における先輩や上司ですら、居ない方がいい奴はゴマンといますし、無くていい仕事は履いて捨てるほどあります。

なので、遊びの場だけ特別扱いせず、「無駄を許す」心の広さを持ちましょう。言うほど、自分も「役に立ち」ません・・・・。

 

次に「自分をよく見せたい意識」を捨てましょう。

例えばゲームにしても、勝っても負けてもいいと思います。楽しければそれでいいんです。というか、負ける方が楽しいです(爆)。実をいうと、盛大に負けた時と、何となく買った時では、盛大に負けた時の方が満足度が高いように感じます。スッキリするんでしょうね。

 

最後に「これからどうしようか・・・」を捨てましょう。

遊びには時間が必要です。よっぽど切羽詰まっていること以外は、すべてキレイさっぱり忘れましょう。その為には、少量のアルコールと小さな話声で十分なはずです。

弱まった神経系と、おおっぴらにできない話題は、未来を忘れさせます。

 

5.大人にこそ「遊ぶための研修」が必要だ。

遊ぶのが下手な奴っています。

どこにいっても、自分の殻を破れず、誰にも気を許せない奴っています。

そういう「大人」には「子供に戻る」研修が必要なように思えます。

自殺やストレスによる失業が増えてます。

企業に本当に求められている研修は、今以上の「効率」を追い求め、「大人」を増やす研修ではなく、「遊ぶ」ことができる「ホントの大人」を作ることができるようにする研修なんじゃないでしょうか。