私と「非モテ」と時々「イケメン」。
モテるからと言って、幸福な訳ではない。
非モテだからと言って、青春がないわけでもない。
誰かを好きになっても、それに気づかないこともある。
まとめ
・イケメンは大概、孤独。
・好きという感情が分からないこともある。
1.私の友人たち
私の友人に、イケメンが居ます。
彼は女性にモテますが、はっきり言って、女性を嫌悪しています。
見た目、性格、話し方やセックスの内容まで・・・・挙げればキリがないほどの苛立ちと怒りを持って生活しています。相手の女性だけでなく、世の女性の多くを憎んで、蔑んでいます。
簡単にホテルに行きますが、簡単に別れてしまいます。
「あ、中毒なんだ」
そう気づくのに、時間はかかりませんでした。
2.私の友人たち②
私の友人に、非モテが居ます。
彼は女性にモテませんが、友人がたくさんいます。
彼は自分の見た目をあまり気にしません。バカにして笑われていても、あまり感じていないように見えます。周囲から愛される代わりに、女性からも相手にされません。
では、どちらが幸福なのでしょう?
3.自分への好意に気付けない非モテと、他者への好意を持ち合わせないイケメン
非モテ君も、時には女性から好意を向けられています。ただ、彼は自分の属するコミュニティで満足している為、その外側になかなか意識を向けられません。
一方、イケメン君は属しているコミュニティの種類は多いですが、友人の数は異常に少ないです。私以外に、メールを送る相手がいません。
非モテ君は常に友達と遊んでいます。中学生のころから遊びの内容が変わらないので、「どう遊んだらよいか」が完全に分かっています。ただ、そこに異性の入り込む隙がないのです。
イケメン君は友達と遊ぶ代わりに、ものすごい量のバイトを入れます。常にお金がないのは、たくさんの彼女を抱え込んでいるためで、就職先も激務のブラック企業でした。
恋愛だけで幸福は測れませんが、一方、社会の構造的にカップルを異常に持ち上げる文化が多いのも事実です。
非モテ君もイケメン君も、同じような内容のアニメや映画を見ます。それは、複数の女性を男性がハーレムに囲ったり、大恋愛の果てに結婚したりするような内容ばかりです。
ただ、彼ら自身の日常はそれらからかけ離れています。
非モテ君は彼女が居ませんし、イケメン君は女性を憎んでいます。
彼らは現実と虚構のあまりの差に気付けてすらいません。
あるいは、気付かないように気をつけています。
4.「好き」という「感情」
非モテ君も、実は恋愛をしていたことがあります。相手は同じ学校の同級生。彼女からの告白だったそうです。そして、別れを告げられたのも・・・。
イケメン君は、実は恋愛をしたことがありません。ごく自然に彼女ができるため、告白したことがないそうです。あるいは、カップルになる前にセックスだけして別れるそうです。
これらの問題の共通点は、「好き」という感情が分からないことに起因しています。
本来、「好き」とは「拘泥」を意味します。
相手のことが気になってしょうがない。常にどこに居て、何をしているのか分からないと不安になる。
でも、現代の社会はこれらの感情と真っ向から対立します。
SNSで知りたくもないのに相手のことを「教え」られ、社会の動きが早いので、固定化された人間関係はリスクしか生みません。
元々、恋愛感情はかなり長い時間をかけて醸成されるものだったのでしょう。ムラやカイシャ、教室や閉鎖された人間関係の中で、自然と相手を「好き」になる。。。
そこには「拘泥」すなわち「無限の投資」が必要になります。相手を簡単に変えられないのですから、当然、相手に対する投資量(時間、お金、体力、気持ちetc...)は増えます。すると、簡単には「足抜け」できなくなって、そこに「結婚」という社会制度が加わり、「恋愛」が出来上がっていた訳です。
そして、そこには「好き」=「感情」が存在していた。
5.感情がなくなる時
非モテ君は、二次元の女性が大好きですし、三次元では優しい女性が好みです。自分を決して傷付けない存在しか「好き」になれないのです。
イケメン君は、女性は嫌いですが、女性の体は「好き」です。彼女たちを憎んでいますが、同時に彼女たちの体に「拘泥」すなわち「好き」でいます。
これら「好き」は、本当に「感情」でしょうか?
元々、相手のことを「好き」になることと、愛情を感じることの間には何の関係もありません。エスパーでもない限り、相手の気持ちが分からず推測するしかないのですから、「感情を愛する」=「愛情」も存在しえないのです。
相手を好きになる時、人は自分の中に居る、自分にとっての「相手のイメージ」を好きなっているに過ぎません。
そして、その「イメージ」が崩れたとき、相手に関する強い「失望」を感じます。望みを失って、感情を失う訳ですね。
そして、興味を失って、別れていきます。
6.果たして、誰が幸福か?
イケメン君も非モテ君も、自身の「好き」という感情があまりに貧弱なことに気付いていません。これを「若いから」とか「恋愛の本質が分かっていないから」とは言えません。先ほども言ったように、特殊な能力でも持っていない限り、相手を本当に「好き」になることは、現代の高速化した恋愛には不可能です。気付いた時には、相手は消えています。
ではどうすればいいのでしょうか?
実は答えは簡単なのです。
「自分で自分のことを好きになって、相手のことを好きな自分を好きになる」
これだけのように感じます。
というのも、相手を本当の意味で理解できない以上、理解しようとしている姿勢を見せることが重要なのです。相手に関する興味を失った状態、すなわち、「失望」=「感情がなくなった状態」を避けるためにです。
実は私たちは大きな勘違いをしてるのかも知れません。
相手に好かれようと(興味をもってもらおうと=モテようと)するあまり、自己改革に勤しみ過ぎて、自分のことが嫌いになったりします。
実はこれは、「自分の中に居る相手を潰す行為」なのです。だって「相手を好きになっている自分を改革してしまって」=「相手を好きになる感情を失わせて」いるのですから。
7.変わっていくために
イケメン君は、最近、結婚したいと言い出しました。相手には困らないはずですよね?ところが、かなり難航しているようです。だって結婚は恋愛やセックスと違って、簡単に「足抜け」できないから・・・。
非モテ君は、結婚相手を自分で選びたいそうです。職場で知り合った女性に、積極的に「貢いで」いますが、なかなか芳しい答えを引き出せません。彼女が他の男性と遊びに行ったりする「気配」を感じるそうです。
彼らも、そして私も皆さんも、実は相手に気を取られ過ぎて、自分を好きになることを怠っています。
相手を好きになるには、まず自分の「好き」という感情について、もっと繊細になってみましょう。なぜ好きなのでしょう?どうして気になるのでしょう?相手の嫌いなところも、考えてみましょう。
たぶん、自分のあまりよろしくない顔が映った鏡に直面するでしょう。でも、それで良いのです。自分の醜いとこを愛せれば、「相手の醜い感情も愛せるように」=「愛情を感じる」ようになるはずなのですから。
鶏肉をゆでるだけで一日が終わる。
時もある。
savas飲んで寝よ―かな
時折、脂肪と筋肉の差がよく分からん時がある。
筋肉って、ようは脂肪じゃね?みたいな。
脂肪➡筋肉へのプロセスで、我々筋トレ男子は快感を得るのだが・・・
それって「一度太れ」ってことでいいの?
そのまま太ったままの時もあるし・・・
これって一種の中毒症状なんじゃなかろうか。。。
太る➡痩せるが快楽なのだから、脂肪➡筋肉も快楽なのだよ。
快楽は人を虜にするのだよ。
脂肪➡筋肉の過程を、仮に「服を脱ぐ」過程に例えてみよう。
汗かいたときとかに、すぐ着替えるのと同じように
体の形が変わるのも、そんなに悪いことじゃない。
体型も試着と同じかもしれない。
『COD MW』と「いじめ」と「戦争」
皆さん『COD MW』やってますか?
オンでは勝てませんが、オフなら無双できるという、FPSゲー特有の現象は、もう既に過去のモノ・・・・。
まず、勝てません。
誰だよ、オフ(ストーリーモード)がオナニーだって言ったヤツ・・・。
めっさAI強いやん。。。
ベテランモードで10回以上死にましたよ?
海外から来た留学生にやらせたら、最初の襲撃ミッションで最弱難易度なのにクリアに1時間以上かかってましたよ?
実は未だに途中で投げ出してるよ?
ねぇ、なんでヘリの座席は銃弾を止められるの?
ねぇ、どうしたの?Activision。返事してよ?
・・・まぁ、今回はストーリー「モード」そのものの話じゃなくて、その内容なんですけどね。。。
まとめ
・戦争描写はいじめ描写と似てる気がする。
・いじめてる奴にはいじめの自覚がない。
・人はいじめられると狂暴化し、いじめ加害者になることがある。
1.いじめられたらやり返す
私の圧倒的に数少ない経験から言っても、いじめられてた奴は、「滅茶苦茶に態度が悪い」です。
これは本当にそうで、ぶっちゃけ、いじめられた経験のある奴は、そのままいじめ加害者になってもおかしくないレベルでキレやすくなってます。
もちろん、全員じゃありません。そうでない人も居ます。たくさん居ます。優しくてしょうがない人も居ます。優しすぎるんです。
でも、、、
女性で、たぶんいじめらてたんだろうな・・・という人物で、キレやすくはありませんが、「自分で何一つ決断が下せなくなってる」人も居ました。(それもそれで大変そうでした・・・)
とにかく、話をしたいのは、「いじめ被害者はいじめられたことを決して忘れない。たとえ当事者が全員死んでいたとしても・・・・」という話なんです。
で、CODなんですけど。。。
2.「いじめ」と「戦争」
登場人物の一人に「ハディル・カリム」というのが居ます。ウルジクスタン解放軍の副司令官で、本作のヒロイン「ファラ」のお兄ちゃんです。
このハディルなんですが・・・なんというか・・・「いじめ被害者とロジックが同じ」なんです。
ロシア軍に自分の両親を殺され、おまけに占領中に毒ガスで同胞を殺され、挙句の果てに自分は収容所内でたぶんイロイロされてる・・・。
「被害者」ですね。分かりやすく。
そして彼はやり返します。そう、あのミッション。
『死のハイウェイ』です。。。
3.やられたらやり返す。倍返しだ。
このミッションでハディルは自分と祖国を苦しめたロシア製の毒ガス兵器を、あえて同胞を巻き込む危険を冒しつつも使用します。
結果として、敵軍(ロシア軍)の掃討に成功するのですが、やり方がヤヴァイ。
なにより、自分がされて一番嫌だったこと、トラウマになってることをそのまま相手にやり返してるんです。これは何がヤヴァイのかというと「忘れらなくなるよ?」ってことです。
復讐ってすればするほど、復讐の原因を忘れらなくするんです。
例えば、いじめ被害者の描写で気になるモノがあります。
あの国民的青春アニメ『時をかける少女』のワンシーンです。
4.「そんなことするからいじめられるんだよ・・・」
上記のセリフは、主人公「紺野 真琴」(こんの まこと)が、クラス内でいじめられてる少年に投げかける言葉です。彼は自分がいじめられた腹いせに、いじめ加害者に対して報復を行っており、それに呆れた真琴ちゃんは彼にこの言葉を投げかけます。
彼女はまだ高校生ですが、一番「ヤヴァイ」ことに気付いています。実は、いじめはいじめそのものが「ヤヴァイ」のではなく「いつまでも覚えている」ことがヤヴァイのです。。。
「いじめられた」経験が、その後の「行動」に影響を与えるレベルで「記憶」されていること、そして「忘れられない」ことこそが、いじめ被害の本質です。
5.「いじめ」と「戦争」
『COD』では、初代から「ヤヴァイ」シーンがぞくぞく出てきます。特に『モダンウォーフェアシリーズ』では、作中に虐殺・一方的な殺戮のシーンが続出します。
ヤヴァ過ぎてコンテンツを非表示にする機能がついてます。撃たれた敵兵が全員タイヤになるのは意味無いと思いますが、それでも、冗談で済ませようとする辺り、まだ良心があります。
が、現実の戦争はもっと過酷です。
『COD MW』に出てきた虐殺シーンは、実際の戦争を何倍もの薄さに薄めた描写なのでしょう。平和な日本に生きていたら、きっと思いつきもしないことが起きているのでしょう。
そして、いじめ被害者がいじめを忘れないのと同じように、一方的に虐殺された人も絶対にその記憶を忘れようとはしません。
ハディルは、実はいじめ被害者の要素を持っています。それは、火責めでも、クレイモアでも、爆薬でも、銃弾でもなく、「毒ガス」という手段によって相手を殺さなければ「気が済まない」のと同じです。
『時かけ』の真琴ちゃんはイイ子ですが、実際のいじめ被害者に先ほどのような事を言えば、キレられるか、その人の脳内で殺されます。
それは虐殺を生き残った人に「それはあなた方の責任だ」と言うのと同じです。
そして、そう「言われた」事実も、彼らは決して忘れないでしょう。
6.「いじめ」と「戦争」と『COD』
ハディルはいじめ被害者であると同時に、最後の最後には自分がいじめ加害者に回ってしまいます。そういう意味では、『COD MW』は「いじめ被害者がいじめ加害者に回ったら、どんなことが起こるのか?」を突き詰めた作品といえます。
他の記事でも書きましたが、追い詰められた状況から抜け出すには、その状況を設定したゲームのルールや価値基準そのものを改変する必要があります。
例えば、自分が非モテだと思うなら、その基準を変える方が早いです。キモくてもブサイクでも、その価値観を押し付けてくる集団から抜け出し、自分を評価してくれる集団を捜しつつ、自己改革(コミュ障克服、ダイエット、筋トレetc)に勤しむ方が圧倒的に楽なのです。
でも、忘れられないと、いつまでもその時の状況に囚われ続けます。
ハディルが「ヤヴァイ」のは、まるで「忘れたくない」かのように自分の記憶(トラウマ)を再現して見せることなのです。
7.敵は記憶の中にいる。
一時期、脳科学の番組が流行りました。茂木健一郎とか、養老孟司がテレビに出てましたよね。彼らが言っていることすべてを信じる必要はありませんが、その一部は信じて良さそうです。
脳はそれ自体に「快・不快」を見分ける機能がなく、唯「刺激の強い記憶」を再現し続ける「ダメな記憶保存装置に過ぎない」という視点です。
ハディルが虐殺を忘れられないのは、忘れたくないからです。忘れたら、自分の生きる目的(復讐)が消失します。
いじめ被害者が、いじめを忘れないのは、忘れたくないからです。なぜ被害者である自分が「忘れてあげなくては」いけないのでしょう?
戦争が終わらないのは、戦争をやめたくないからです。誰が正しいのか、だれが強いのか分からなくなるじゃないですか・・・。
こういった視点がない限り、いじめも戦争もなくならないでしょう。いじめ被害者がキレやすいのは、人格的に劣っているからではなく、「今もいじめられて」るからです。だって「脳は覚えて(思い出して、再現して)いる」んですから。。。。
8.とりあえず、『COD MW』はやれ。
プレイ動画だけでも視聴することをお勧めします。2000年代以降の対テロ戦争は、そのまま、いじめ加害者vs被害者の構図に似ている部分が多すぎます。
今作では戦場における絶対的な弱者である「民間人」への「誤射」が「あえて多発する」ように作られています。
誰が「加害者」で、誰が「被害者」なのか分からなくなるように作られているんです。
これは製作者サイドの考え方なのでしょう。実際の現実がそうであるように、彼らの掲げる標語には一定の説得力があります。
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大人にこそ「遊ぶ」ための「研修」が必要だ。
今年のお正月に友だち数人で集まって年末の宅飲み会をしました。
で、その時思ったんですが、大人になってから「遊ぶのが下手」になってませんか?
〇まとめ
・子供の時は「遊ぶのが上手」過ぎてヤヴァイ。➡1.子供の時はみんな「遊ぶ」のが上手い、
・大人になると「遊ぶのが下手」になる。➡2.子供の時間。大人の時間。
・「遊ぶ」ためには、実は「遊ぶための技術」が必要とされる。それは「時間を忘れる技術」とも言える。➡3.「遊ぶ」ための技術、4.時間を忘れるために、5.大人にこそ「遊ぶための研修」が必要だ。
1.子供の時はみんな「遊ぶ」のが上手い
と思うんです。じっさい。
子どものときって、時間が過ぎるのが早いじゃないですか?
友だちの家で遊んでて、気付いたら窓の外が真っ暗。僕は住んでいたのがド田舎なので、暗くて寒い田んぼの農道を、全力でチャリンコで逃げ帰る日々でした。
で、その当時のこと思い出すと
「時間がもったいない」
って考え方そのものが「無い」んですね。
2.子供の時間。大人の時間。
大人になってから、「時間」が足りなくなりました。
常にスケジュール管理に追われ、提出期限に間に合わなければ容赦なく減点、あるいは叱責や減給処分を受けます。
これらは、現代的な効率重視の社会に生きている為です。
その証拠に、効率どころか基本的な社会インフラすらない国や地域では、時間通りに物事が進まないことの方が多いです。(アフリカの一部の国とか、バスの時刻表に1時間+しないとバス来ないそうです。アフリカ出身の友人が言っていたので、たぶんホントです。)
そして、子供の時間から大人の時間にシフトした時、たぶん、「遊び方」を忘れました。
3.「遊ぶ」ための技術
まず、「時を忘れる」ことだと思います。
先に触れた正月の宅飲み会でも、僕は時間ばかり気にしていました。
お正月で仕事も勉強もないはずなのに、しっかり腕時計を左手に巻いていたのです。
そして頭の奥底で次のように考えていました。
「この時間をどう有効活用してやろう」
その結果、友人たちの個人的な話を根掘り葉掘り聞くという意味不明な行動に出ます。
実際キモっかたろーなー、と思います。
そして、超絶に楽しくありませんでした。
友人たちがスマブラやってる横で、面白くなくなりすぎて寝始めましたもん(笑)
それもこれも、「遊ぶための技術」が圧倒的になくなっていたことが原因です。
4.時間を忘れるために
まず、「役に立つかどうか」を捨てましょう。
僕もできないですが、人生には役立たずが多いです。仕事上における先輩や上司ですら、居ない方がいい奴はゴマンといますし、無くていい仕事は履いて捨てるほどあります。
なので、遊びの場だけ特別扱いせず、「無駄を許す」心の広さを持ちましょう。言うほど、自分も「役に立ち」ません・・・・。
次に「自分をよく見せたい意識」を捨てましょう。
例えばゲームにしても、勝っても負けてもいいと思います。楽しければそれでいいんです。というか、負ける方が楽しいです(爆)。実をいうと、盛大に負けた時と、何となく買った時では、盛大に負けた時の方が満足度が高いように感じます。スッキリするんでしょうね。
最後に「これからどうしようか・・・」を捨てましょう。
遊びには時間が必要です。よっぽど切羽詰まっていること以外は、すべてキレイさっぱり忘れましょう。その為には、少量のアルコールと小さな話声で十分なはずです。
弱まった神経系と、おおっぴらにできない話題は、未来を忘れさせます。
5.大人にこそ「遊ぶための研修」が必要だ。
遊ぶのが下手な奴っています。
どこにいっても、自分の殻を破れず、誰にも気を許せない奴っています。
そういう「大人」には「子供に戻る」研修が必要なように思えます。
自殺やストレスによる失業が増えてます。
企業に本当に求められている研修は、今以上の「効率」を追い求め、「大人」を増やす研修ではなく、「遊ぶ」ことができる「ホントの大人」を作ることができるようにする研修なんじゃないでしょうか。
私と筋トレと時々ネコ
皆さん、筋トレしてますか?
しなくていいですよ。それより走りましょう。
今日は筋トレについての疑問点。
・筋トレって「どこ」から?
先月(2019年12月)、兵庫県の摩耶山に登りました。かなりの急こう配で、筋肉痛が恐かったんですが、まさかの無傷で帰還しました・・・。
おかしいですよね?あんなにキツかったのに、筋肉痛にならないとか。
なんのトレーニングになったの?みたいな。
両足に多少の違和感が出ただけで、ぜんぜん筋肉鍛わってないんですけど。
ほぼ走るように上ったのに、全く筋肉痛が出ませんでした。。。
・筋トレをすると人は調子に乗る。
で、ジムに行くわけです。
「あー、俺、ぜんぜんイケるじゃん。もっと高負荷でないと全然キかんわー・・・」
みたいなノリで、シーテッドロウとかナンヤラカンチャラプレスとか、横文字が多すぎて分からん器械を使う訳です。
「いける!俺ならいける!」
そう思って、いきなり50キロとか70キロとかを、持ち上げたり、下ろしたり、蹴り上げたり・・・。
・そして、腰痛へ。
いきなり出ました。
死ぬかと思いました。
前後から攻められる感じです。
まず腹。
「死」です。露骨に動かなくなりました。動かしたいのに、動かない。というか、麻痺してる?みたいな。プルプル震えるばかりで、ぜんぜん動けません。
次に、本題の腰。
「絶命」です。
本格的な腰痛を皆さんご存じですか?
知るべきですよ。
僕と同じ苦痛を味わえ。
マジで動けません。というか、くしゃみもできません。溜息で圧迫感が出ます。「あれ?腰痛って死因になるんだっけ?」そんな思いが部屋の中を飛び回ります。
・筋トレの質問
「どこから」筋トレなんすかね?
例えば、階段上るだけでもヒィヒィなるじゃないですか。なのに、摩耶山登っても、何にも変わらないっておかしくないですか?
それと同じように。
いきなり70はまずかったと思います。でも、やってる時は何ともならんかったんですよ。
スタッフさんからは
「unanaさんすごいフォームきれいですよ!」
みたいな感じで褒められてたのに、帰って寝たらこのざまですよ。
いったい、「どの辺」から「筋トレ」だったんかなー?・・・と。
・ネコ
CATです。こんな時は。
正月に帰省したのを機に、家族が飼ってる猫を腰に乗っけて来ました。
なんとなく、良くなった気がします。
ネコのノドグルグル音で、マッサージ効果があったのかも。
腰痛に利くと学会に発表したら、賞が貰えるかもしれない。
人口を「正しく」減らす方法ってある?
※2019年6月に発生した「元農水事務次官長男殺害事件」に言及しています。
※強い暴力的な言葉・表現を用いています。
まとめ
・社会は人の数を増やす一方で、その管理能力は向上させられない。➡1.マルサスおじさん
・昔は産婆が、今は親たちが、社会的に迷惑を掛けそうな子供の「世話」をしている。➡2.産婆と父親、
・「正しく」人口を「減らす」システムはもう存在しない。➡3.「優秀な」命、4.人口を「正しく」減らす方法。
・「正しく」人口を「増やす」システムの構築を急ぐべきだ。➡5.人口を「正しく」増やす方法、6.マルサスとチョコレートボンボン
1.マルサスおじさん
マルサスという人を知ってるだろうか?
この人は、イギリスの古い思想家で、『人口論』という本を書いた。
以下、『人口論』について超簡単に説明。
1.人の数(人口)は倍々に増えるのに、農地(食糧生産)は足し算でしか増えない。
2.なので、必ずどこかで食料が足らなくなる。
3.よって、必ず人口を減らすための戦いや飢餓、疫病が発生する。
以上。すんごい議論だ。
というのも、この方、実は超絶アンチソシオロジスト(反社会主義者)だったらしく、『人口論』の後半でものすごい社会主義をディスるらしい。(私は書籍の前半部分を読みました☆)
で、だ。
何が言いたいのかというと、去年の暮れに発生した元農水事務次官が自分の長男を殺害した事件。これがどうにも、「人口論」的に思えてショウガナイ。
「育てるのに」「自立するのに」「結婚するのに」➡失敗したから、自分の子供を殺します。
現にこういう風に考える親は意外と少なくないのかもしれない。自分の子育ての問題はとりあえず置いといて、「社会に迷惑をかける」前に自分の子供を始末する。。。
実はこれって『人口論』でマルサスが展開している議論と、行きつく先は同じなのだ。
1.昔は「国」というものがあって、そこには「大儀」や「正義」があった。
2.なので、人口が増えすぎたり、農地が足りなくなったら「戦争」を起こして人口を減らせた。
3.でも、20世紀の後半に世界戦争があって、核爆弾なんていう人類一撃死兵器ができて。
4.なので、人口が(表向きには)減らせなくなって。(戦争できなくなって)
5.にもかかわらず、社会のキャパシティ(就職口や結婚相手や教育の質)は増やせなくて。
6.なので、「社会に迷惑をかけそう」になったら、親が自分で自分の子供を殺します。
だいたい5段階くらいで説明可能かと思ったら、4段階目くらいで結論が出てしまう不思議。
その位、安い世界に住んでいる。
2.産婆と父親
産婆って、かなり悲しい職業だったらしい。
今で言うところの、看護師や医師が担当する、出産という業務を一人で担っていた。
産「婆」というくらいだから、その多くが女性だったのだろう。
彼女たちは、生まれてくる赤ん坊に障碍(特に身体・機能)があると、その場で赤ん坊を死産に「させて」いた。
私は、この産婆と元農水事務次官の父親が、同じことをしているように思えてならない。
産婆は、障害を持った赤ん坊が産道から出てきたら、40秒で「人口を減ら」し。
元農水事務次官の父親は、自分の息子が社会に参加することに失敗したら、40年ほど経ってから「人口を減ら」した。
ムラ=社会に迷惑をかける前に。。。。
3.「優秀な」命
『ガタカ』という映画がある。
遺伝子改変が一般的になった近未来で、生まれてくる段階で「優秀な」遺伝子のみを残して生まれてくる「優秀な」人類と、経済的・宗教的・思想的・心情的なあらゆる理由でその「サービス」を受けられず、「劣等な」遺伝子を持って生まれてくる「劣等な」人類の、二種類しかいない世界。
主人公は、宇宙飛行士になるため、「優秀な」遺伝子を持つ人類しか入れない会社へ、自らの遺伝子を偽って入社するが・・・。
映画の結末は、実際に視聴することをお勧めするが、私が言いたいのは次の通りだ。
「だったら、最初から産むな」
以上である。
というのも、育て切れない子供を産むことに問題があるのだ。実際、私たちは毎日のように「子殺し」を行っている。
女性は月経で、男性は特別の理由がない限りオナニーかコンドームで。
命はどこから命だろうか?
受精卵は、ある一定時期を過ぎると殺してはならないことになっている。
ある程度、人の形になってしまったら、殺人になるのだそうだ。
では、最初から生まれてこなかったら?
4.人口を「正しく」減らす方法。
「産まない」ことである。
少なくとも、育て切れないならば。
社会に迷惑をかけるならば、産まない方がいい・・・そう思う人も実は居るのではないか?
そうでなければ、この国の自殺率は、ここまで増えないはずだ。
他人に迷惑をかけても生き残ろうとすることを、ヨシとする社会ならば、自殺は増えないはずだ。
あるいは、他殺が増えるかだが・・・。
いずれにしても、この社会は元農水事務次官の父親側に付いている。
「「「「子ども(命)が社会(ムラ)に迷惑を掛けそうになったら間引いても良い。」」」」
そう言っている。
なので、私もこう言いたい。
「「「「では、出産を制限すべきだ。」」」」
今の社会の実情に合わせて、「優秀な」人間しか、生まれてこないようにすべきだ。
その子供が、学業とスポーツに秀で、社交的で経済を刺激しやすく、性的にも充実し、心理面でも安定した、まるで化け物のような存在でない限り、産むべきでない。
そうしなければ、戦争と自殺だ。
5.人口を「正しく」増やす方法
では、こうすればどうだろう?人口を正しく「増やす」のだ。
どうすればいいか?
まず、年齢を制限する。ある一定以上に達したら、その後は安楽死を全面的に解禁、社会の隅々まで「安心して死ねる」状況を行き渡らせる。
これを「安楽死サービス」と名付ける。
また、嫡出子、非嫡出子の区別をできるだけ無くす。
現在の「親」に完全に寄り掛かった教育・保育の在り方を見直し、社会全体で次世代を育成する方法をなんとかして産み出す。ちょうど、狼の群れが集団で子育てをするように。
これを「ウルフパック(狼の子育て)サービス」と名付ける。
次に、自由を売却するシステムを作る。
例えば、有給休暇を買い取るシステムと同じように、自分の移動や購買の権利、知る権利を売却できるようにする。ヒキコモリでも、自分の権利を売却すれば、最低限度の福祉や承認を得られるようなシステムを作る。
これを「現代型自由奴隷制度」と名付ける。
これら「終わり・始まり・中途」の三段階に行き渡るシステムを作れば、社会は確実に変わるし、変わらざるを得ない。
そして、人口は「正しく」増えるだろう。
6.マルサスとチョコレートボンボン
マルサスが現代に生きていたら、現代の駄菓子を見てどう思うだろう?
飢え死にした自分の親の肉を食べる子供がいた時代から、ダイエット・コカ・コーラやチョコレートボンボンを見て。
古代の王が、現代のヒキコモリ男性を見てどう思うだろう?
矢で片目を潰され煮えたぎった油を頭からかぶせられ城壁を超える為だけに自分たちの死体で堀を埋めるよう命令された12歳くらいの少年兵がいた時代から、ヒキコモリ化し、自分では何の努力もしない40代の童貞肥満男性を見て。
私達は、未来の「優秀な」子供たちを見て、どう思うだろう?
生きる意味を奪われ、生きているだけで恥ずかしい状態にされ、社会的に孤独化し、何の生きる意味も見いだせない時代から、自分の遺伝子を強制的に改変し、たとえ他者を出し抜いても生き残ろうとし、若くして死ぬことをヨシとする未来の世代を見て。
わたしたちは「正しく」産まれられただろうか?
「自由」恋愛という言葉の不思議さと、インセルへの嫌悪感
※注意※
この記事は「インセル」("involuntary celibate"(「不本意の禁欲主義者」、「非自発的独身者」))について書かれています。
性的な内容を含みます。
強い暴力的な言語を含みます。
〇まとめ
・自由恋愛は歴史的に見て、最近「発明」されたモノ。➡1.歴史のお勉強、2.支給品
・インセルは遺伝子的に敗北しているが、それはモテないからではなく、モテても高望みを繰り返し、満足感を得られないから敗北している。➡3.被害者、4.結論
・もし、性における結果の平等を求めるなら去勢避妊手術と遺伝子バンクの合わせ技が妥当。➡5.で、どうするか?、6.そんな性なら、捨てちゃえば?
・インセルから抜け出たいなら、まずインセル的な価値観を捨てるしかない。➡7.とはいうものの...
〇本文
インセルって知ってるだろうか?知らなかったら、youtubeでもwikipediaでも見て勉強してほしいが、一言で言うと
「モテたいのにモテる努力をしない自称非モテ」
達のことだ。
1.歴史のお勉強
それは、古代社会においてはあり得なかったろうし、中世においても、王侯貴族の政略結婚以外に存在しなかったことだろう。
また、近代に入って日本が「開化」されてからも、社会設計上、結婚と育児は女性が、兵役と労働は男性が担うという性的役割分業は当然のこととされていた。
その中で、それは一種のエンターテインメント、すなわち結婚の下位互換として設定され、その様をつぶさに記録した、いわゆる「私小説」と呼ばれる娯楽メディアが、人々の購買意欲と性的関心の受け皿として認知された。
自由恋愛。
この四文字ほど、現代的で意味不明な言葉は存在しない。後に述べるが、実は「自由」な恋愛など在り得ないからだ。
自由恋愛が「発明」されるのは、戦後から暫く経ってから、恐らくは高度経済成長期以降のことだろう。なぜなら、それまでの家庭は、家事育児を行う労働力付きの売春婦として、ある一定数の婦女子を必要としていたからだ。
戦後の高度経済成長の中で、電化製品や郊外型のスーパーマーケット、自動車や鉄道網などが急激に整備されていく過程で、家庭の「家事」は自動化されていく。
男性が、必ずしも女性という家内労働者を必要としなくなったことが、昨今のインセル的な議論すなわち「女をあてがえ」議論に繋がっていると私は考える。
2.支給品
そう、実は「インセル」的な議論の発端は、男性側の意識の変化に端を発している。
上の「女を宛がえ」理論には、括弧付けされた条件が存在する。すなわち「(俺が性的に興味を持ち、また従順に従うことで男性的遺伝子の征服欲求を満足させられる)女を宛がえ」という論理なのだ。
残念なことに、そんな女性はほとんどいないか、居てももっと「上位」の雄に取られている。
現代社会の、特に精神や心理的な要因が混入しやすい生活環境において、「女を宛がう」ことは困難を極める。
女性と男性を逆転させてみればよく分かる。
ほぼすべての男性が、女性の満足いく異性パートナーとして失格だ。なぜなら、ほぼすべての女性が、感情を優先して生きているからだ。それは男性の感情と異なり、かなり動きが早い。雌の感情的な変化の速度について行ける雄の数は、雄の男性的な遺伝子、すなわちY染色体を満足させられる雌の数より少ないだろう。
単なる労働力として、そして決して性的に魅力的でなくとも、インターネットやポルノ雑誌が存在せず「相対的に」魅力がないと気付かないでいられる間だけ、女(異性)という「支給品」は価値を持った。そして社会状況が変化すると同時に、その価値は消えた。そして、インセルが出現した。
3.被害者
哀しいのは、全員が自らを被害者だと誤認していることだ。
もし「支給品」で満足したいなら、生活(性活)や自己への評価を低下させるしかない。あるいは、もっと謙虚になるかだが、これは更に困難だろう。なぜなら、遺伝子はより優れた見た目の、あるいは、優秀な遺伝子を持っていると「推測」される異性を求めていくからだ。
これはダーウィンの言う適者生存の原理とも矛盾しない。より健康で、頑健で、他者からの「評価」が高い個体と交雑することが、遺伝子にとって最も基本的な生き残り戦略となる。
遺伝子的な闘争のさ中で「謙虚」に振舞えばどうなるか?
女性の場合は、まず間違いなく安く買い叩かれる。それが肉体であろうが、精神であろうが、言葉であろうが、無関係だ。セクハラが連発されるだろう。
また、男性の場合は、競争に敗北するだろう。謙虚にふるまっている間に、より多くのメスと「交流」し、遺伝子レベルで「ハイ」になった別の雄に、精神、身体、経済のあらゆる側面で後れを取る。
自由恋愛はゆえに不自由である。なぜなら、クラスヒエラルキーであろうが、会社内の対人関係であろうが、ナイトクラブの意味不明な会話(怒鳴り合い)であろうが、それらを行っている男女の間に、絶望的な意識と感情の開きがあるからだ。
現代の社会は各個人の自由意志すなわち自由恋愛を尊重するが、その考え方自体が自由な意思決定を阻害している。恋愛という究極の機会の平等は、結果の平等と真っ向から対立する。結果の平等が得られないなら、意思決定を行う力を手にできず、結果として自由がなくなる。
4.結論
自らが生き残るためには、何をしてもよいというホッブズ的な状況が、個人の性生活まで徹底された社会における、恋愛という「経済」の硬直化。
これが、自由恋愛の限界であり、私がインセルに感じる気持ち悪さの正体でもある。
自由とは価値観の設定や、「何が優れているか」を決められる段階のことを意味する。これは現代的な「自由」恋愛ではまずあり得ない。「モテる」という状況そのものが、他者からの評価を基準にしているがゆえに。
また、インセル的な議論が気持ち悪いのは、自分たちこそが当事者だからだ。
実のところを言うと、インセルには女性も含まれる。
なぜなら、自由恋愛市場で自らを「高く」売ろうとする行為や意識そのものが、女性を動物とみなして「調教」しようとするピックアップアーティストの意識と酷似しているからだ。
現代の恋愛・性愛活動において、被害者など在り得ない。そのゲームに参加する以上、全員が加害者か関係者である。
5.で、どうするか?
より多くの異性が、「消耗品」として「支給品」として必要とされるのですよね?ということは、それを安定供給する方法、例えば、非モテ男子と非モテ女子専用のマッチングアプリとか、結婚を前提とせず、あくまでも童貞(セカンド童貞)や処女(セカンド処女)を脱却するためのお見合い会を恥も外聞もなく開くであるとか・・・。
でも、その中でも実はインセルって発生するんですね。自由恋愛という遺伝子闘争の中で劣った個体だけを集めたら、その中で更に弱者が発生します。ブス、バカ、貧乏、チビ、デブ、ハゲ、童貞、処女を集めたら、その中で更にマウント合戦が始まるとか地獄絵図ですよ。
せいぜいが、自由恋愛や遺伝子闘争しか価値判断基準がない雰囲気をこれ以上助長しないよう、メディアはクリスマスやバレンタインの報道を自粛するとか、あるいはカップル限定の割引を小売店舗側に辞めさせるだとか・・・。
でも、結局のところ、それって問題の解決にならないんですよね。
どうしてかというと、遺伝子レベルでより多くの異性やセックスを求める以上、代替品(オナニーやポルノ)には限界があるし、遺伝子レベルの闘争=科学的に存在が確認されている闘争を「存在しない」としちゃうと、宗教になる訳です。
非モテ宗教ですね。
割とガチ目の「教会内価値観」って奴です。ルサンチマンが溜まりまくる上、恋愛強者は捕食活動をやめないので、更に格差が広がります。
6.そんな性なら、捨てちゃえば?
ひとつ、方法があります。精子と卵子だけ残して、機械にガチャガチャを回させるんです。
意味不明ですよね?説明しましょうか。
遺伝子と卵子を氷漬けにして保存、で、当人はボール切除あるいは部屋を潰します。正確に言うと、性欲を発生させる器官を科学的に破壊し、なおかつ遺伝子の運び手である精子・卵子の保存のみを行うんですね。
現代の遺伝子技術だと、これが可能なんです。精子、卵子だけを「バンク(銀行)」に預けて、自分は遺伝子的な闘争から降りるわけです。そうすれば、ほとんどの場合、ルサンチマンも溜まりませんし、遺伝子カクテルから敗退することもありません。恋愛の興奮や、オナニーによる一時的満足感を失いますが、あくまでもプラトニックなものなら可能ですし、別に同性であっても構わない・・・。
実は、現代的な「自由」恋愛の多くが、その「自由さ」を失っている以上、科学的に強制的に「シャッフル」=「自由さの担保」を行うことは理に適ってるんですね。
どんなブスでも、遺伝子的に敗北している要素しかなくても、超絶美人や天才と、遺伝子をシャッフルできるチャンスがある・・・。宝くじに応募するようなものですが、現在の「どちらに転んでも可能性はゼロ。生涯にわたって孤独と疎外感、劣等感に悩まされます」といった状況よりかは何倍も「マシ」なのです。そして、より多様性を求めることが、遺伝子の生き残りに不j可決ならば、これほどまでに「多用」なあり方も珍しい。
だってこれって、古代のレイプしかない交尾の状況と同じなのです。
乱数に支配され、完全に人間の手を離れた機械のアームが、無作為に精子と卵子を混ぜ合わせる状況は、どこにメスが居るか分からず、純粋に鳴き声と匂いだけで雄が動き回り、最終的には意思確認など行わずに強制的に交雑を行う状況と、まったく変わらないからです。どちらも結果は「天のみぞ知る」状況なのですから。
7.とはいうものの...
とりあえず、モテるために努力することにしましょう。だって、そんな技術や社会状況、そうそうすぐ「実装」されるとは思えないんですもん。
で、どうやったらモテるんですかね。。。
少なくとも、男性はチビはショウガナイので、まずはデブ、ガリ、不潔から抜け出しましょう。生活環境を改善して、より健康体(のように見える状況)へ移行しましょう。また、少しでいいので収入を得ましょう。最低限、働いているという姿勢を見せましょう。
また、女性は無意味な「努力」をやめましょう。あなたがどれほど「努力」しても、男性はちっとも嬉しくありません。カツ丼を頼んだら、ショートケーキが来た、並みに意味不明です。これは、分かる人には分かると思います。「気の利く女性」だと見せたいがために、できもしないのに教育委員長的にふるまおうとする女性が多すぎます。
ここまで来ても実は多くの人がこう思っています。
「で、どうしたらモテるんですかね?」
というか、それって分かっちゃたら意味無いですよね。他者と比較して異性に人気がある状態が「モテ」だとするなら、それが言語化され、再現可能になった時点で「モテ」てないですよね。簡単にコピーできちゃう訳ですから、格差が消えてしまいます。
ようは、競争から降りることを前提としつつ、その中からすぐには離脱できないことを想定して、できるだけ具体的かつ即効性のある戦略を立案・実行し続けるしかないのです。
他人より優れている(モテている)だとか、劣っている(チビ、ハゲ、デブetc...)だとかいう考え方自体を拒絶しつつ、自己改革に勤しむしかありません。